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  <酒雑学集>


酒にまつわるおもしろ雑学を一挙に紹介。


へぇ〜 そうなんだぁ〜 ってうなずいて下さい。


1.鏡開き
結婚式をはじめ、祝勝会、創立記念日など、おめでたい席では、日本酒の鏡開きがよく行われる。酒樽のフタは、丸くて平らなことから“鏡”と呼ばれ、お正月の鏡モチの鏡も同じ意味がある。運を開くにちなんで、鏡割りではなく鏡開きという。馥郁(ふくいく)と香る酒樽の清冽な味わいは身をひきしめ、ひとつの樽から酌み交わすお酒は、連帯感と親近感を深めるもの。新年会や成人式などで鏡開きが行われるようになったのも、こうした意味あいからだろう。
2.春までの酒造り“寒造り”
江戸も中期頃まで日本酒は、ほとんど1年中造られ、その場ですぐ飲まれるものであった。これが次第に冬だけ作られるようになったのは、寛政の頃を中心にたびたび発令された”減醸令”や酒造半減”の制度以来である。これらは酒造米抑制のためのもので、これにより酒造りは酒質の優れたもののできる冬の間の”寒造り”に移行していった。このため、酒造家は短期間のうちに大量の酒を造る必要に迫られ、器具や設備充実に腐心した。これとともに生まれたのが、酒造家に集団で労働力を提供する”百日働き”と呼ばれる特殊な技能集団である。冬季仕事のない農漁村の人々がグループを作って酒造りに精を出したわけだ。
3.酒の管理はおかみさん
日本酒の起源は、稲作文化の始まった弥生時代とされている。それ以前は、女性が、それもうら若き乙女が、米を噛んで唾液で米を糖化させるという原始的な方法で酒を造っていた。この時代は「母長家族制」であったため、一家の”長”は主婦であり、したがって、酒造りの権利も炊事権や食料の分配権同様、女性にあった。酒壷を管理していたのも当然主婦だった。”おかみさん”の”おかみ”は、この頃の”噛み”が語源だという。世の亭主族が「おかみさん」とたてまつって敬称でいうのも、実は、酒を飲みたい一心からかもしれない。
4.カビを利用“日本酒”
湿気によるカビ対策で頭を悩ます時がやってきた。わが国は、多湿な風土のため、生活文化の中に、カビとの対応から生まれた知恵が随所に見られる。カビには、マイナスとプラスの両面があって、マイナス面はものを腐敗させたり、病気の原因をつくること。しかし、上手に活用すると、すばらしい発酵食品が生まれてくる。これがプラスの面。古来、日本人は、マイナスをプラスに変える「逆転の発想」が得意で、日本酒をはじめ、ミソ、醤油、納豆などは、微生物を巧妙に手なずけて生み出した歴史的傑作といってもよいだろう。日本酒はカビの一種である麹菌を利用してつくるものだが、米麹利用の醸造はすでに弥生時代から始まっている。
5.魚の保存の日本酒スプレー
初夏、”尾頭付き”で食卓をにぎわす高級のいさき。釣り基地のご主人が大漁をした日やちょっと余分に買いこんだ時の上手な保存法。準備するのは洋裁用のスプレーと日本酒(20度位の原酒タイプが最適)おなかを開き、ワタを除く。きれいに水洗いして、塩をふる。日本酒をたっぷり外側にも噴射。ラップか密閉容器に入れ冷蔵庫へ。なまぐささも防げる。
6.うなぎの蒲焼きを日本酒で調理
買ってきた蒲焼が、時間がたって硬くなったときは⇒日本酒を入れた鍋を強火で沸騰させ、火をつけてアルコール分を完全に飛ばす(煮切り酒)。この中に蒲焼を1分ほどつける。ひき上げてからタレをまぶせばホカホカやわらかさが復活する。なお、味にコクが欲しい時は煮切り酒で5・6分蒸すとよい。薄手のアルミ鍋とお酒をたっぷり使うのがコツ。
7.10月1日は日本酒の日
古来、10月はお酒の月。十二支でも10番目は酉(トリ)で、酒の意味があります。新米が実り、酒造りが始まる。また新酒が熟成して旨いこの月に日本酒を国民の酒としてたたえようと定められたのが「日本酒の日」明治年間に酒造法ができて以来酒造年度の始まりも10月1日で酒造家の間では、この日を「酒造元旦」として祝う風習もあります。さあ、冷やよし、燗よし、今宵も日本酒で乾杯!
8.贈答品のルーツは日本酒
日本人には、昔から酒を酌み交わす習慣がある。心の交流を図り、連帯意識を強めるために酒をやり取りするのである。ここから自家製の酒を相手に贈り、自分の気持ちをこの酒に託し、同じ酒を飲みあうという風習が一般化していった。酒には肴をつけて贈るのが礼儀である。古来、これは”のしあわび”と決まっていた。不老長寿の薬貝だと信じられていたうえに、”のし”が延命に通じたからである。これは美味で酒によく合い、乾燥品だから保存もきき、調理法も多かった。現在の贈り物は、中身は違っても、この”のし”をつける習慣だけは残っている。
9.お燗
日本酒を温めて飲むようになったのは、平安時代からといわれている。中国の文化を積極的に取り入れていた平安貴族が、季白の「林間に紅葉を焚いて酒を暖む」という詩句などから学んだものと思われる。いずれにしろ、お燗は、日本酒のやわらかな味わいを一層引き立たせ、味に巾を持たせる素晴らしい発見なのである。
10.公家の朝食会
朝食会というといかにもモダンな感じで、西洋生まれと思われがちですが、実はこのルーツ、室町時代の公家の風習なのです。当時「汁講」と呼ばれていた公家の私的な宴がそれです。主催する家で酒の肴となる「汁」を用意し、汁の具は参加者が持ち寄り、朝から日本酒を酌み交わすという、いかにも公家らしい優雅なものでした。この宴では、女性たちも大いに楽しんだようです。
11.利き酒大会は室町時代から
室町時代の中期以降は、食文化が発達し、酒の需要も飛躍的に増えた。このころ、”十度飲””十種飲”といった酒の席での遊戯があった。”十度飲”は飲酒量を競い合うもので、”十種飲”は酒の味を識別する競争だった。このような味覚の競技は茶の湯でも行われどこの水か当てるのであった。室町時代は、今出回っている食品のほとんどが揃った時だけに、その裏を返すと、当時の人々が味覚にかなり敏感だったことを物語るものである。
12.小野小町は美人酒
美人の代名詞とされる”小町”。平安朝の美貌一番の地位を独占し続けた女性だが、彼女ほどさまざまな伝説に包まれた女性も珍しい。彼女をモデルにして創作したといわれている「玉造小町壮哀書」に、若い絶頂期の頃の贅をつくした酒盛りの様子が紹介されている。肴の主なものを上げてみると、紅鯉の刺身・紅鱸のエラで作った鮨・鮒の包み焼き・鮪のあえもの・鰹の煮焦がし・鮎のあつもの・鯛の汁もの・鮭の干し物を初めとする魚料理十三品。さらに熊の掌、亀の尾、兎の脾臓などの高価な珍味。そしてデザートの果物は十種あまり。肝心の酒は、澄み酒で、杯からくんで飲んだという。しかし、この豪勢な生活も一朝の夢に過ぎず、やがて落魄の身になり、ついには、野辺の露になってしまったと伝えられている。
13.灘の男酒、伏見の女酒
灘を銘醸の地に育て上げた”宮水”。西宮市の甲子園のごく近くにあり、地下わずか3〜5メートルの貝殻層から湧き出ており、その水面は海水面とほとんど変わらない。この水は硬度の高い硬水で、カリウムが一般の水の3倍、リン酸塩が5倍も多く、酒の発酵時に乳酸菌や酵母菌の栄養源となる。さらに、酒質を悪くする鉄分や有機分はほとんどなく、酒造りには格好の水なのである。この宮水で仕込まれる灘の酒は、どちらかというと、すっきりとした辛口に仕上がる。これが灘の酒は”男酒”だといわれるゆえんだ。これに対して、白菊水に代表される伏見の水は、中硬水から軟水に近く、口当たりが柔らかく、ふっくら優雅な酒に仕上がる。こちらは、”女酒”と呼ばれているが日本酒は水によって個性が決まるといえる。
14.日本酒を飲んだ西洋人1号
日本酒を初めて飲んだ西洋人は誰だったのでしょう。文献によると、1549年来日した宣教師ザビエルとのことです。彼は約2年間、日本の文化に接し、日本の味も知りました。教会本部宛ての手紙の中で、「麦も野菜もあるが、日本人の主食は米だ。この米から酒をつくるが、これ以外に酒はない。酒は美味だが高価だ。」などと書いています。


   日本酒センター発行『日本酒おもしろ百科』より

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